Hanyabushi
はんや節について
"はんや"の語源は南風(はえ) 夜(や) です。※諸説あります。
「はえ」とは南風のことで、北上する帆船にかかせないものでした。帆船とは、海の流通であった北前船のことです。
南風が吹く夜のことを南風( はえ) 夜( や) と呼び、ハエからハエヤになり、ハイヤになり、「はんや」になったとも伝えられています。
また北の方では、アイヤ、おけさとも言われています。
はんや節とは、北前船の船頭衆が風待ちの寄港地で芸者衆と酒盛りの中で唄った唄であり、曲名、リズムが少しずつ変わりながら、今でも唄い継がれています。
♪はんやはんやで今朝でた船はどこの港に着いたやら♪ という唄いだしには、船乗りの身を案じる女性たちの思いが込められています。
日本全国の北前船寄港地には港に伝わったものが、薩摩川内市に海から川へ入ってきて、山の恵みのまちである薩摩川内一帯にも伝わりました。
その歌がいつしか田畑の恵みの唄として田植えの早苗上(さのぼり)として宴会の唄となりました。
そして、早苗上や宴会の時に唄い、踊られるようになったと言われています。
Musya-parade
武者行列
時は天正15年、豊臣秀吉が20万の大軍を率い、今の鹿児島県薩摩川内市にある泰平寺に本陣を構えた九州征伐の際、わずか300名で一歩も引かず応戦した平佐城、桂忠昉との攻防戦と、大将、島津義久と秀吉とのこの地での和睦までを史実をもとに再現しております。