The History of Hanya

はんやの歴史

History

薩摩川内はんやまつりの歴史

昭和43年(1968年)に開戸橋の開通記念の事業として、沿道を市民が川内に古くから伝わる民謡川内はんや節を踊り祝ったのが始まりと言われていて、その後現在まで、「はんやまつり」として続いています。

毎年11月第1日曜日に、国道3号を約1.5キロ交通規制し、音楽隊、神輿パレードに、路上パフォーマンス、迫力満点の「武者行列」が披露された後、市内外から約5,000人が参加して「はんや踊り」を踊る、市民にも市外から来られる方々にも、広く愛されるお祭りです。

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Hanyabushi

はんや節について

"はんや"の語源は南風(はえ) 夜(や) です。※諸説あります。
「はえ」とは南風のことで、北上する帆船にかかせないものでした。帆船とは、海の流通であった北前船のことです。

南風が吹く夜のことを南風( はえ) 夜( や) と呼び、ハエからハエヤになり、ハイヤになり、「はんや」になったとも伝えられています。
また北の方では、アイヤ、おけさとも言われています。
はんや節とは、北前船の船頭衆が風待ちの寄港地で芸者衆と酒盛りの中で唄った唄であり、曲名、リズムが少しずつ変わりながら、今でも唄い継がれています。

♪はんやはんやで今朝でた船はどこの港に着いたやら♪ という唄いだしには、船乗りの身を案じる女性たちの思いが込められています。
日本全国の北前船寄港地には港に伝わったものが、薩摩川内市に海から川へ入ってきて、山の恵みのまちである薩摩川内一帯にも伝わりました。
その歌がいつしか田畑の恵みの唄として田植えの早苗上(さのぼり)として宴会の唄となりました。
そして、早苗上や宴会の時に唄い、踊られるようになったと言われています。

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武者行列

時は天正15年、豊臣秀吉が20万の大軍を率い、今の鹿児島県薩摩川内市にある泰平寺に本陣を構えた九州征伐の際、わずか300名で一歩も引かず応戦した平佐城、桂忠昉との攻防戦と、大将、島津義久と秀吉とのこの地での和睦までを史実をもとに再現しております。

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薩摩川内はんやまつり

薩摩川内はんやまつり実行委員会事務局
(薩摩川内市観光物産協会内)
所在地:鹿児島県薩摩川内市鳥追町1-1
(JR川内駅2階)

株式会社 薩摩川内市観光物産協会

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